北陸自動車道・巻潟東インターチェンジ近くのラーメン屋さん、「よし田亭」。
5度目の登場となりますが(先回の記事はこちら)、実はランチがとってもお得! なんと、500円のワンコイン・ランチ。
「そう、ワンちゃん同伴でランチするザマスのよ、奥様。オ~ホホホホ!」
節子、それワンコインやない! 「ワンコとイン」や!
‥‥えーっと、ワンコインの「平日ランチ特別セット」はラーメンとご飯もののセットとなっておりまして、数種類ありますが、今回はハンバーグ丼のセットをチョイス!
これで500円。‥‥コスパが凄い!
ラーメンは、しょうゆ or しおを選択できます。なんとなく、クリスタルな気分だったので、しおで。
ビューティフル・ソルティー。
♪今日は、すば! すば! すば! 素晴らしいソ~ルティ~(田中星児さんのビューティフル・サンデーの節で)
優しく美しい見た目に反して、味はかなりディープでストロング。いい意味で驚きました。麺はかなりの縮れ細麺で、美味しいスープをよく絡めてくれます。
ハンバーグ丼は、さすがにミニサイズ。
ライスの上に、手作りハンバーグとレタスと紅しょうが。タレは甘辛で和風な照り焼き風、ごはんがススム君です。
ミニ丼とはいえ、お昼からこれだけガッツリといただければ、満足満足、満腹満腹。午後からのお仕事も眠くなります! ってもんです。‥‥いえいえ、頑張れます! でした (^^ゞ
ところで、巻潟東(まきかたひがし)というインターチェンジ名の由来は、言うまでもなく合併前の巻町と潟東村(って、新潟県外の方には言うまでもありますね)。
そして、潟東村といえば、あの! 赤塚不二夫先生の出身地ですね(なかなか唐突な転換ですね)。
「西蒲区文化施設を運営する市民の会」の公式サイトから引用しますと、
『天才バカボン』『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』で知られる赤塚不二夫が14歳の時に父の出身地であり赤塚の本籍地であった新潟県西蒲原郡四ツ合村井随(潟東村を経て現在は新潟市西蒲区)に移り、赤塚は四ツ合中学校(現・新潟市立潟東中学校)へ転入。
中学校を卒業後映画の看板を制作する新潟市内の看板屋に就職した。この時期に『漫画少年』への投稿も始めた。18歳頃に上京し、化学薬品工場に勤務しながら『漫画少年』へ投稿を続けた。
石ノ森章太郎が主宰する「東日本漫画研究会」の同人に参加。石森を手伝う形でトキワ荘に移り、昭和37年『週刊少年サンデー』で「おそ松くん」がブレイクする。
とのこと。
潟東歴史民俗資料館には赤塚先生の絵も展示されているそうです。昨今は、「おそ松くん」より「おそ松さん」のほうが有名になってますが、「おそ松の聖地」として潟東を巡るのもいいかも。
「聖地は言いすぎですかね?」
「これでいいのだ!」
ごちそうさまでした。。。。。
お店の住所:新潟市西蒲区国見2718-1
Facebook:ログらあめん よし田亭
追記:赤塚先生の出身地について
赤塚先生は満州の生まれで、引き揚げ者ということでイジメにあったりなどしたので、ご自身は新潟出身と言われることをあまり良く思っておらず、「満州出身・トキワ荘育ち」という考えだった、と教えてもらいました。
なるほど‥‥、と思いましたので、追記いたしました。ふちのべ12番さんからもコメントをいただきましたので、スクロールしてご覧ください。コメントありがとうざいました。
赤塚不二夫先生の話は初耳でした!
「旧潟東村食堂めぐり」でもしてみようと思います。。
潟東は鎧潟と言う大きな池(潟)があったそうです。”昭和四十年代に干拓されるまでは、地域の住民生活に深い繋がりを持ち続けた「鎧潟」の東に位置した事が村名「潟東村」の由来”とのことです。(^^)
いつも楽しく拝見しております。赤塚不二夫の話は複雑です。実際はどんなだったか、晩年失うものもないタイミングで吐露したと思いますが。ギャグ漫画の鋭鋒が新潟をどんな思いで過ごしていたのか。小生、飛んでさいたま某の同窓です。関東より
コメントありがとうございます。そうなんです、私もその話を聞いてちょっとショックでしたが、「新潟の人には悪いけどオレの故郷はあのデッカイ満州だ」と言う本人の言葉を聞いて、とてもお人柄が忍ばれる気がしました。やはり、デッカイ人物だったんだなぁ~って思いました。(^^ゞ