燕背脂ファミリーツリー
ワクワク、なにくれるアルか? 大油大盛り・餃子付き食べ放題券?
それはわしが欲しい。残念ながら食べ放題券じゃなくて、燕背脂ラーメンの系図じゃ。
(追記:最新バージョンはこちらです)
いかにも研究成果という感じじゃろ? きっかけは、トッキィさんからいただいた三条の背脂三兄弟についてのコメントなんじゃよ。
食べ放題じゃなくてガッカリある‥‥。トッキィさんのコメントはこんな感じだったアルね。
- 分水の「中華亭」は、福来亭で修行した
- 三条市の「いこい食堂」は、分水の中華亭で修行した
- いこい食堂の店主は、弟である「(三条の)中華亭」「福来亭(現・龍華亭)」にノウハウを伝えた(背脂三兄弟)
- 三兄弟の福来亭は、もともと福来亭三条店だった店舗を居抜きで借りて、店名も使わせてもらった(現店舗への移転時に龍華亭と改名)
- 新潟市西堀にあった福来亭は、以前は関屋にあった。西堀へ移転する際に番頭さんに店舗を譲り、現在の関屋福来亭になった
うむ。そこに、ひげじじぃ。。。さんからも「油の系譜」というコメントをいただいたもんじゃから、ロックバンドのファミリーツリーよろしく、図に起こしてみたというわけじゃ。正直、それっぽいのはロゴくらいじゃが‥‥。
わしが聞いとった情報は、
- 西堀福来亭の店主は、徐さん一家のご親戚
- 新潟市の「中華そば こころ」は福来亭から指導してもらった
- 新潟市南区の「太安亭」は、燕市の「福来亭白山町店」で修行した
- 長岡市の「安福亭 本店」と「中華 めんきち」、加茂市の「成龍」は、杭州飯店で修行した
という感じじゃったな。
他にもひげじじいさん、笠原さんからコメントで情報をいただきましたアル。
- 背脂三兄弟は、いこい食堂で製麺した麺を使っていた(現在も使っているかは不明)
- やすどんは、三条中華亭で修行した
- 福来亭白山町店は、杭州飯店で修行した
- 中華めんきちの現店主は、もともとパートで働いていた方
- 長岡市の「吉乃や」は、めんきちの先代から背脂ラーメンのアドバイスを受けた
改めてお礼を申し上げますぞ。ありがとうございます。
それらをまとめた図じゃから、ソースとしては伝聞ということになる。が、誰の証言か明示されておるものが多いから、信憑性は高いと思うのじゃ。記憶違いや勘違いはあっても、根も葉もない噂ということはないと信じるぞ。
最初は背脂三兄弟の範囲だけだったんじゃが、そこに色々追加していった結果、とっちらかってしもうたから、至らぬ点も多い。ここの解釈がおかしいとか、ここの書き方が間違ってるとかあったら、コメントしていただければ幸いじゃ。もちろん、この図にない情報も歓迎しますぞ。岩のりトッピングの元祖についての情報とかでも結構じゃ。
あと、わがままを言って大変申し訳ないのじゃが、できれば「ホニャララさんからチョメチョメだと聞いた」のように、情報源を明示していただけるとありがたい。よろしくお願いいたしますぞ。
これでだいたい終わりアルか? しっかし、今回は長かったアルね~。若いワタシもさすがに疲れてきたアル。
疲れついでに、もういっちょ行く~?
オッス! アイヤッ、つい条件反射で‥‥
ははは。京都の有名ラーメン店・「新福菜館」の創業者は徐永俤さんといって、徐昌星さんの親戚だそうなんじゃ。これは、「ラーメンがなくなる日」という本に記述がある。著者は岩岡洋志さん、ラー博こと新横浜ラーメン博物館を設立した方じゃ。まぁ、買って読んだわけじゃなくて、ネットでGoogleブックスのプレビューで見かけた情報なんじゃがな。徐永俤さんのラーメンの味も濃い口だったそうじゃが、来来亭に影響していたとしたら面白いのう。県央地域で食べられる京都ラーメンなわけじゃから。
そっちまでつながるアルか。もうお腹いっぱいで食べれないアル。
よし、締めようか。長い長い長ーい記事を最後まで読んでくださった皆さま、ありがとうございました。次回は新潟五大ラーメンの最終回、「長岡生姜醤油ラーメンの巻」でご機嫌をうかがいますぞ。
ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨイ! それじゃまたネー! 達者でナー! 風邪引くナー!
おおぅ、梅之助! ミッチー!
◇◇◇
参考リンク一覧
- 背脂ラーメンの杭州飯店が開業80年 – ケンオー・ドットコム
- PDF版 広報つばめ 平成25年11月1日号 – 燕市公式ホームページ
- 「燕三条系ラーメン」の定説覆す、本当の歴史 – 越後ジャーナル
- 背脂ラーメンの歴史 – 燕三条ラーメン王国
- あの老舗ラーメン店が閉店 – おでブロ
新潟五大ラーメンの記事
- 三条カレーラーメンの巻
- 新潟あっさり系ラーメンの巻
- 新潟濃厚味噌ラーメンの巻
- 燕背脂ラーメンの巻(この記事)
- 長岡生姜醤油ラーメンの巻
微力ながら小生の情報が役に立ち光栄です。さて小生が選ぶ背油ベスト10ですが
1、初代めんきち 2、燕宮川食堂 3、吉乃や 4、ライオン食堂 5、大むら支店
6、だんち食堂 7、やすどん 8、三条中華亭 9、政 10、やまがみ食堂です。杭州や安福などは、美味いかですが値段が、んん~ですかね。今から約2年半位でしたかマサさんのブログを見てこれは美味いと感じて即行ったのが宮川さんです。杭州が確か750円の時になんと500円で食べられだしが良く効いて煮干しプラス良質のたぶんこんぶやかつおだしがほのかにしました。麺も多く具体的には三条しゃがらの大盛り位は有ります。最初食べた時は超感動でした。値段安くダシもよく効いていて麺の量も多くまだ隠れた名店が有ったもんだと思いました。現在は600円ですが燕エリアの価格帯からすればまだまだ安くて量も多く美味いです。宮川さんは大油でと言って下さい。先般のプラント内にある見附ブラック同様検証して頂ければ幸いと思います。はい。
この度はご協力いただきましてありがとうございました。諸説あり、全く違う説もあるので正解かどうかわかりませんが、自分なりのひとつの区切りになりました。
燕の「宮川」は、何度かお店の前を通ったことはあるのですが、フラれていました。ぜひ食べてみたいです。(^^ゞ
ある信頼できる情報によれば二郎も福来亭から背脂を学んだとか
びっくりぽん! 京都の新福菜館と繋がったのには、じぇじぇじぇでしたが、二郎と繋がってもおかしくない気がしてきました。
そうなると・・・東京の背脂「ホープ軒」とか、環七の「土佐っ子」とかにもどこかで繋がるのかしら?
背脂皆兄弟! 背脂は世界を救うですね。
いやいや凄い! 感動すた♪
歴史的な記事です!
アブぺディアとして確立!(笑)
情報の吹き貯まりになるといいですね!(爆)
(勿論、いい意味でね♪)
そんな訳で・・・
昔・・・ 杭州の名刺に・・・
福来亭本店 杭州飯店とあると聞いた事があるような・・・(笑)
やはり・・・ 歴史を追いかけるのは・・・ 楽しいですね♪
アブぺディア(笑)。abupedia・・・募金でも募りましょうか? これがホントのオイルマネーですね。 名刺にも両店の名が刻まれていたとは・・・オイルショック!
いやはや、興味深く拝読させていただきました^^
特に各福来亭の関係性が今までよくわかっていなかったので、なんだかストンと腑に落ちた感じでスッキリです^^
油の家系図は資料的価値が高いと思いますw
調べれば調べるほど、全く違う説もあって、必ずしも全問正解ではないと思うのですが、ひとつの説として何かの参考にしていただければ・・・って感じです。(^^ゞ
キチンと背油ラーメンを食べた事が無いので、一度チャレンジしてみたい記事でしたぁ~♪
まぁ、胃の無い猿は速効やっつけられて、トイレから出れないんですが。(笑)(*´∀`)
油を採りたい時があるんッスヨ。
油を食べた後はお腹のケア・・・大事です。。。これが本当の「油断大敵」です。
大好きな「大盛り研究所!!」
いつも楽しみにしています。
が、今回は
やはりどうしても
違和感がありまして、、
コメントしてしまいます。。。
こかね食堂。
大好きなんです!!
苗字が
かねこ さんなので、ひっくり返して
「こかね」だそうです。
個人的な感覚ですが
行くときは
「背油を食いにいく」って感じでは
ないお店です。
逆に、昨日背油だったから
きょうは「こかね」行こっと、、って感じで
お邪魔しています。
実際魚介が弱いと思いますし
ラーメンマップでも
「鶏がらのみで」と有りますし。。
事実はどうか
次回取材してみようと思います!!
コメントありがとうございます。かねこをもじって「こかね食堂」・・・「こねか」ではないのがいいですね。(^^ゞ
情報ありがとうございます。 実は久しく行ってないので、記憶が曖昧でした。
メンマの感じとか、分水の中華亭の小油(油なしくらい?)に似ていたような覚えがあったのですが・・・薄っすら背脂な感じでしたよね。
もしかして、大油は存在しないのかもですね。背脂が少し浮いてると言うことは・・・豚も少し使用?
「鶏がらのみ?」・・・近々に確認に行きたいと思います。
いずれにせよ、ちょっと異色って感じで系譜に入るのは「ちょっと待った!」かもですね。
確か?焼きそばだったか、焼きめしだったかが、珍しくソース味だったような記憶も、かすかにあるのですが、記憶が曖昧です。
やっぱり、私も再調査してきま~す。\(^o^)/
杭州飯店で修業した店に十日町のたかみち(旧栄町のミミ)があります。
新潟日報のラーメン本に書いてありました。
コメントありがとうございます。十日町のたかみち・・・ありましたね。
ミミの時はよく行ってたのですが、十日町に移転してからはすっかりご無沙汰です。杭州飯店で修行されたということになれば、
直系の系譜に入れないといけませんね。
教えていただきありがとうございました。\(^o^)/
ちなみに、旧・栄町ミミの近くの佐助も好きだったのに・・・残念です。大肉(タイロー)ラーメン懐かしいです。
30年前くらい、まだ杭州飯店が「ラーメン屋」と言うよりは「中華料理屋」だったころ、杭州飯店の近所に住んでいた親戚宅の集まりで、杭州飯店の2階の広間を使い宴会をした記憶があります。
宴会は、中華料理のコースだったように思います。
当時はもう、現在のカタチの「中華そば」がありましたが、沢山ある中華料理のひとつで、今ほどの絶対的な看板メニューでは無かったような気がします。
当時、小学生だった頃の「初・杭州飯店」の記憶ででした(^_^;)
大切な思い出話をいただきありがとうございました。
中華料理屋さんとしての杭州飯店、とても良いお話だと思います。
ありがとうございました。(^^)/
新潟市南口の麺屋 忍はどういった扱いなのでしょう。
2012年あたりでは、関谷福来亭でノッポ君が忍風のラーメンにしようとしてた様です。
その後フトッチョ君が元のラーメンに戻していた様に思えます。
これ、すごく嬉しかったです。
関谷福来亭は関谷福来亭であって、忍じゃないんです。
忍のラーメン自体は好きなので、どんな系譜をたどってるか興味があります。
ちなみに忍の爺さんは関谷福来亭の先代に似てます。
コメントありがとうございます。 「麺屋 忍」は小針にあった時に一度行ったきりだったと思います。今は背脂麻婆麺が人気のようですね。燕背脂ラーメンとの関わりはわかりませんが関屋福来亭と関係性があったんですか?!
杭州飯店の店主のお姉さん?が福来亭をやってると昔聞いた事があります。
杭州飯店からの暖簾わけみたいですね。ゆえに杭州飯店が元祖だと思うのですが…
有名になった今の背脂乗せは出前用が始まりで、父や知り合いの人は60年前から
良く食べていたそうで、当時出前の人と顔見知りの人は「オマケ」があります。
参考までに
http://tjniigata.jp/gourmet/201811kousyu-hanten-kunsyou/
初代が福来亭で、その後はご姉弟で福来亭をお姉さん、杭州飯店を弟さんがされて、現在は福来亭が閉店し、杭州飯店は三代目も継がれてますね。
当時、オマケがあったのは初耳でした。教えていただきありがとうございます