この日(2020年10月)は三条市「日本料理 二州楼」さんで、とある行事に招いていただきました。割烹・料亭での行事は本当に久しぶりでした。しっかり感染対策を講じた会場で静かに、そして和やかに執り行われました。
子供の頃は、父親が持って帰ってくる割烹の折詰め料理がすっごく楽しみでしたが、そのおかずを兄弟で喧嘩してまで取り合ったものです。
昭和時代、お父さんの会合帰りのご家庭でおかず争奪戦が繰り広げられてたなんてご家庭も多かったのでは?
ちなみに、自分が今度は折詰めを持って帰る立場になった我が家は、平等且つ、平和的にジャンケンで勝った者から食べたい料理を1品ずつ取っていき、一周したら次に食べたい料理をまた取って・・・を繰り返すルールを制定しましたので、平成になり「折詰めラヴ&ピース」です。(笑)
まずは、お造りの美しさに目を奪われましょう。
器も素敵。秋でしたので、お月さまのようなデザインなのかしら?
お造り以外は、折詰めになっていましたので、鯛の焼き魚などは、家に持って帰りました。いやはや、めで鯛のう、めで鯛のう。
折詰めは2段重ねで、上の段には天ぷらや煮物など、会場で食べてもよし、持って帰ってもよし、、、というようになっていました。
二州楼名物の鮭の味噌漬けだったでしょうか?脂の乗った焼き鮭おいしゅうございました。
どれも美しく、そして一品一品が凝っていて美味しい。さすが、割烹・料亭のお味です。
「日本料理 二州楼」さんの創業は、元禄元年(1688年)とのことで、明治十一年(1878年)九月に明治天皇北陸御巡行。同二十九年、小松宮殿下。近年に高松宮殿下が、それぞれご昼食をおとりになり、その折々の「御献立」が記し残されているそうです。
また「二州楼」名付け親は、日本最後の文人と呼ばれる「富岡鉄斎」だそうです。
座敷から越後と佐渡を望む。また、二州を見るに余る越後平野を一望するという見晴らしの雄大さを称え、たまたま訪れていた富岡鉄斎が名付け、高潔清澄な画風をしのばせる気力に満ちた一筆「二州楼」の書を記したとのこと。
現在の当主は10代目だそうです。
そんな歴史を味わうのもまた一興。
ごちそうさまでした。。。
お店の住所:三条市旭町1丁目14-13