燕市 らぁ麺 ほっしん 白味噌らーめん / 分水という地名の由来は、大河津分水路。

定期巡回な感じになっています、燕市の「分水ショッピングパーク・パコ」内にある、「らぁ麺 ほっしん」。

今日は、白味噌らーめんを「ほっしん」て伺いました。 あ、「ほっして(欲っして)」伺いました。

いつも思うのですが、丼の模様がエナジードリンクのアサヒ飲料 「Monster Energy」を思い浮かべるのは私だけでしょうか。(うん、きっとあなただけでしょう。)

モンスターエナジー

…ということで、改めて「白味噌らーめん」はコチラです。

丼の模様が爪痕っぽくないですか? 考え過ぎでしょうか? 考えすぎですね。

分水 ほっしん2023-12-27 019 (1)

味噌は背油ではないんです。

もやし・キャベツ・キクラゲなどを炒めた具材がたっぷりで、チャーシュー、メンマ、煮卵(半分)。

分水 ほっしん2023-12-27 019 (2)

麺は四角な太麺。 太目な太麺。

分水 ほっしん2023-12-27 019 (3)

呑み過ぎた翌日は味噌ラーメンを欲します。ええ、もちろん「ほっしん」です。いえ、本心です。

ちなみに、燕市となった「分水町(ぶんすいまち)」は、新潟県西蒲原郡に属した町で、2006年3月20日、(旧)燕市、吉田町と合併し燕市となり消滅しました。

町名は、この地で信濃川と分岐し、町の南西を流れる大河津分水路に由来するそうです。

大河津分水を中心とした治水事業の歴史

洪水と請願: 昔から信濃川は「暴れ川」と呼ばれ、頻繁に洪水を引き起こしていました。明治29年(1896年)の「横田切れ」は特に甚大な被害をもたらし、人々は深刻な水害から逃れるため、分水路建設を幕府や政府に請願しました。
工事と通水: 請願と度重なる水害を経て、1907年(明治40年)に工事が本格的に開始され、13年の歳月をかけて1922年(大正11年)に大河津分水が通水しました。
完成後の発展: 大河津分水路の完成により、越後平野は広大な美田となり、燕市の金属加工産業も発展しました。
現代の取り組み: 2000年(平成12年)には洗堰が通水、2011年(平成23年)には可動堰が通水するなど、大河津分水は現在も水害に備えた改修工事が行われています。

信濃川を人工的に、しかも可動堰で調整しながら日本海へ分水してるって凄いことですよね。

「川の流れが、、、変わった!、、、川が変わった、、、川、変わった。」ってことでよろしかったでしょうか?(よろしくはない)

ごちそうさまでした。。。。

お店の住所:燕市分水新町1-6-5(分水ショッピングパーク・パコ内)

投稿者:ユキヒロック

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