同じ長岡市の新保にある「石田屋分店」は何度かご紹介しておりましたが、その本店にあたる「そば処 石田屋」へ。
何を隠そう、じつはこの場所、あの長岡の幕末ヒーロー「河井継之助」が北越戦争の長岡城奪還戦で銃弾に倒れた場所に建つというお蕎麦屋さんなのであります。
雁木通りです。
なんだかそう思ってみると、格式的などこか品がある感じがします。(いえ、別にこのお店で倒れた訳ではなく、その跡地にお店が建ってるだけではありますが…)
出前が多いようですが、わざわざお店に足を運んでくれた方に「ご来店のお客様へのサービスメニュー」ってのがありました。
御献立。
「そば・うどん」と同じくらいに、中華部門、御飯物、定食も充実。
でも、雰囲気あるお店。
「上はもりそば、下は丼の二段重」と書いてありましたが、こういうことなのですね。
ふたをとって広げてみました。
「そば付」というだけあって、下の丼の方が深みのある重箱でした。
かつ重1人前+そば半人前って感じです。
かつ重は、白身が半熟で、中央部に寄っていてビューティフル。
ナルトの細切れが色彩的なアクセントになっております。
蕎麦とカツ重、ふたつを一度で味わえるのはありがたい。
蕎麦が汁代わりでなく、ちゃんとお味噌汁が付くところが、ラストサムライ長岡藩って感じです。(だから、河井継之助とは直接関係ないんだって!)
つけもの、ねぎ、ワサビ。
最後に、このお店のある場所で、河井継之助が被弾したお話をまとめておきます。
「戊辰戦争(北越戦争)・八丁沖の戦い」
慶応4年(1868年)5月2日の小千谷談判決裂後、5月10日に長岡藩は妙見山の榎峠を守る新政府軍に攻撃を開始し、北越戦争が始まった。同年5月19日に新政府軍が長岡城を陥落。
新政府軍が長岡に侵攻して猿橋川・八丁沖の南側を占領。北側を奥羽越列藩同盟軍が要所に陣地を置き対峙し、平野部は膠着状態になっていた。そこで同盟軍側が現状突破策として考えたのが、新政府軍側では通行不能とみなしている八丁沖を徒渉して無警戒の敵陣に上陸する奇襲作戦で、6月22日に1回目を決行したが失敗、2回目は7月24日午後6時に出発し、翌日(25日)に長岡城奪還に成功するも、河井継之助が被弾。
これを「八丁沖の戦い」と言うらしいです。
新政府軍はもともと、7月25日を総攻撃の日としていたため、市街地には兵が布陣されており、すぐに反撃に転じ、29日に新政府軍は長岡城を再び陥落させる。
長岡藩の残存兵力は河井継之助を担架に乗せて運び、会津に逃亡する。八十里越を超えて、8月5日に会津領に入った。河井は会津で、松本良順の治療を受けるが、治療の甲斐もなく8月16日に息を引き取った。
ごちそうさまでした。。。。
お店の住所:長岡市新町2丁目2−30



















