やすどん、2回目の記事です。その1はこちら。
現在、やすどんと三条市の背脂三兄弟の関係についてご存知の方を探しております(背脂三兄弟とは、いこい食堂、中華亭、龍華亭のことで、自分で勝手にそう呼んでいます)。
ネット検索すると、燕市の福来亭で修行されたようなことを書かれてるページを見つけましたが、穀町の閉店した本店なのか、それとも白山町店なのか、ってことにもなりますよね?
実は、大盛り研究所の新潟五大ラーメンシリーズ・燕背脂ラーメンの研究をまとめ中でして、各店のつながり・修行された店の流れをファミリーツリーのような図にしてみようと計画しているのです。近く大本営発表があると思いますので、お楽しみに♪
追記:大盛り研究所の燕背脂ラーメン編、公開しました。ファミリーツリーは最後のページでご覧いただけます。
さて、やすどんですが、どこで修行されたにせよ、出してるラーメンは燕背脂。
この写真は中油だったかな? 世の中はガソリン価格急下落で、いよいよ100円を切り始めましたが、もともと背脂ラーメンの「大油」「中油」はサービスなので、燕背脂業界に大きな影響はないと思います(笑)。
やすどんは、麺が昔のいこい食堂や燕の大むら支店に似てるような気もしますが、チャーシューとかワカメとか、オリジナリティーもかなり感じます。
こちらで有名なのは、タップリの岩のりがのった、真っ黒な「岩のりラーメン」。背脂と岩のりの相性は抜群ですよね。
岩のり、ラーメンの具としては割と新しいものだと思うのですが、出てきた当時は驚きました。「わ!美味~い♪ なんだこれ? 海苔なの?」って感じ。
岩のりトッピングが広まったのは、おそらくらーめん潤の影響が大きいと思います。潤さんが背脂+岩のりの一番最初かと聞かれるとちょっと自信がありませんが、自分の中では「岩のりイコールらーめん潤」って記憶です。
強い食材同士、お互い負けずに引き立て合うのでしょう。結構な世紀の大発見と思います。やすどんの岩のりラーメンは、個人的には「そんなに岩のりがのってもなぁ~」ということで敬遠しておりますが、ただの食わず嫌いかもしれません。
ごちそうさまでした。。。。
お店の住所:三条市大字月岡1-26-33
追記:2018年9月4日より、三条市月岡2-24-27に移転オープンされました。以前つきおか家だったところです。
クリスマスツリーならぬ
大油ツリー♪(この場合、油はこの字がえぇよね♪)
楽しみにしてます。(笑)
今はどうか分からないけど・・・
昔は三条三兄弟の麺は、いこいさんが製麺されてたようです。
へぇ~、いこい食堂が製麺されていたんですね。記憶違いかもしれませんが、
以前(10年くらい前)は麺がもっと丸くてうどんみたいなイメージがあったのですが、
今は平たく杭州飯店に近い感じになってるような気がします。
デザインは、プログレのレコードに入ってるようなファミリ・ツリーです。大油ツリー・・・ビッグ・オイル・ツリーですね。
毎日貴殿のブログを楽しく拝見している三条市の笠原と申します。やすどんはなんと西裏館の中華亭で修業をされた方です。店主は下田の方でラーメン店の前は下田の農協で仕事をして途中でラーメン屋商売を始めました。ちなみに福来亭白山の今の店主は
昭和62年~平成元年にかけて西燕杭州で修業をしていました。今でもはっきり覚えています。やすどん修業の情報は意外と知っている人はほとんどいないはずです。ちなみに長岡背油ラーメンめんきちなんかも修業先は知らない人が多いと思いますよ!!
貴重な情報ありがとうございます。(^^)/ やすどんは、三条中華亭で修行された方だったんですね。ファミリー・ツリー繋がりました。福来亭白山町店は、杭州飯店なんですね。長岡のめんきちも今は奥さんと息子さんが継いでると思いますが、もともとの店主は杭州飯店で修行されたと聞いてますが、合ってたでしょうか?他にも知っていたら教えていただけると助かります。
今のめん吉、店主女性堀さんは初代めん吉でパートで働いて初代が無くなって継ぐ気が無かったのですが皆から店をやってくれと言われて渋々店を継承しました。初代の場所は今より500M位の所で奥まっていて立地は良くないところです。初代めん吉最初に食べたのが昭和63年でした。いまのめん吉も美味いですが初代じいさんが作っためん吉はとにかく安く美味かった。燕杭州まだまだどうして、長岡安福亭なんのその。本当に初代めん吉は三条から毎日通うくらい病み付きでした。ちなみに堀さんは初代時代に帳面をつけていて儲からないから継ぐ気がなかったといっていました。堀さんの台詞を今でも覚えております。
初代のめんきちの美味しさを体験出来ずに残念です。(^^ゞ
本題忘れていました。初代めん吉のじいさんは確かに杭州で修業でしたが厳密に言うと杭州店主より厨房には入らされず店と厨房の仕切り越しに立って目を点にして仕事をある意味盗んだそうです。この時代は長岡初代青島店主が今は亡きとうちゃんラーメン店主が厨房に入らされずカウンター越しで仕事を覚えてとうちゃんの店を出しました。長岡背油ラーメンは自分は吉乃屋が一番好きです。それもそのはずあの初代めん吉のおやじに背油を出す時に色々ノウハウを聞いたそうです。ここは細麺で最初抵抗有りましたが確かに背油でも太でなくても細でも合うなと既成概念を根本的に崩れてインパクトがあり美味いです。取り急ぎ情報まで!
重ね重ね情報ありがとうございます。 仕事は目で盗みとる・・・まさに昔気質の職人さんの世界ですね。ちょっと感動しました。長岡の吉乃屋さん http://www.aa.alles.or.jp/~yoshinoya/openning.html も背脂入ってますが、めんきちさんからアドバイスもらっていたのですね。確かに細麺ですが、美味いです♪
ユキヒ大本営と旧日本の大本営との共通点は偏っているところですね。前者は大盛に後者は情報の信憑性に。何れにしろ、大本営発表、楽しみにしております
大盛り研究所は、実はもうひとり共同研究者がおりますので、そちらから正式な発表があるまで暫しお待ちくださいませ♪
お二人という事は、まさしく陸軍部と海軍部で構成されていた大本営ですね。楽しみです。
おお、なるほど。まさに大本営発表の体ですね。お楽しみに♪
つい先日、やすどんへ行って参りました。
ひと昔前に新潟市西堀通にあった福来亭に良く似ている作りだなと感じました。
皆さんがご存知のように燕三条の背脂ラーメンの発祥は燕市穀町にあった福来亭ですし、福来亭直系店は福来亭初代店主の子供達だったわけですが、そこからあちこちに派生して今のような系図になっているようです。
私もそこら辺りを燕の徐さんに直接聞いてみます。
何か目新しい情報があったらご一報させて頂きます。
また情報がありましたら、ぜひ教えてください、よろしくお願い致します。(^_-)
いつも楽しく拝見しております。
間違っていたらすいません。岩海苔のパイオニアは侍だと思います。
コメントありがとうございます。侍ラーメンさんも岩のりトッピングありますよね。でもデフォには入っていなかったような?
開店も潤の方が少し早かったと思います。少し調べたら潤の2軒目になる「らーめん処 潤 上除店」が94年開店で、侍は99年のようです。(^^ゞ
でも、岩のり黎明期的な位置づけで言えばパイオニアと呼んでも良いのかもです。
通りすがりのラーメン好きです。
今は無き殻町・福来亭の女将、徐ミドリさんから、以前何度と無く
「弟(徐勝二さん、杭州飯店)は胃が悪いから少しショッパイんだ。
お父さん(徐晃星・・・漢字が間違っていたら失礼)の味を一番正しく
受け継いだのは、私と安福亭だよ」と聞かされました。
で、杭州飯店で勝二さんに聞くと、「そもそも福来亭じゃなくて
ウチが元祖なんだよ、このラーメンは。ねーちゃんの言うのは
間違いだよ」と返事をしつつ、福来亭マークの丼と杭州飯店マークの
丼をゴッチャに並べて中華そばを作っていました。
あの姉弟は仲が良いんだか悪いんだか・・・不思議な関係でしたよね。
コメントありがとうございます。それぞれの福来亭・杭州飯店の思い出・・・なんか良い話と思いました。(^^)>